Anna Manabe

1994年栃木県日光市生まれ。父親がオーストリア人、母親が日本人のルーツを持つ。中学2年生で上京。その後19歳まで都内で暮らし、3.11の大震災で実家が被災し沖縄に移動する。20歳よりオーストリアの首都ウィーンにあるウィーン応用美術大学にて商業写真学科に入学。5年後コロナ禍に突入し、沖縄の実家に帰省。拠点を日本に移し写真/ディレクション/執筆などを中心としたフリーランスになる。
https://www.instagram.com/mamabe/

経歴
  • ウィーン応用美術大学にて教授Maria Ziegelboeckのもとファッション写真を学ぶ。
  • 2020年9月よりフリーランスとして活動を開始。
  • portrait of Japan 2021 入賞
  • CAPE10 Art Contest 2022 受賞
展示会(個展)
  • 「Umarmung」2021年1月(東京/京都)
  • 「Re:」2022年(東京)

ステートメント

roots!!

私が生まれ育った寒い寒い田舎の村は、私の目が肌がその学校に通う多くの児童たちと違うことを許さないそんな〝よくある〟土地だった。
毎日自分が普通じゃないこと 差別をしてもいいと思われていること 老若男女問わず私を異質扱いしてくる人々の中で、私は何故自分がこの場所で生きているのが許されなくて、何故他の人間たちは魔法にかけられたかのように平気で生きているのかがわからなかった。
成功した混血児のインタビューや自伝にたどり着くのは容易い。
道を学校の体操着で歩いていたら東京の大手雑誌にスカウトされたあの子や、道端に座り込んで歌を歌っていたら音楽業界の人間に見染められ、武道館を埋めるほどの声援を浴びることができたあの子の話を聞いたって決して(そうか なら私も生きてていいんだわ)と思うことなんてなかった。
私はもっと、朝起きて私の家の前をランニングで通る高橋さんや、飼っている猫に父親の国の名前をつけたら日本語で卑猥な意味になってしまったと話していた橘さんの話が聞きたかった。
その人たちが、どうやって どんなふうに生きていて 魔法が実は誰にもかかっていないことをもっと思春期のときに知りたかったのだ。

沖縄の〝隣人〟たちはいつも私に「どこからきたの?」と尋ねる。
私は本土で五億回返事をしているのと同じように私のルーツを答える。
本土だとここで会話はおしまいなのだが何故か沖縄は違う。
「へえ 私は実は両親が千葉で」「うちは代々ずうっと島だなあ」などと〝自分のルーツ〟を教えてくれることが本当に多いのだ。
話をしながら 人々のルーツを聴きながら 私はこの人たちの魔法を解いていく。
誰だってどんな人だって当然ルーツがあり、何かしらをしてここにいるのは間違いがない
のに、聞かなければそれは実感として現れず、人々は魔法ように不思議な存在としてそこいる。

私が今回隣人たちの魔法を可視化する理由は、きっと幼い頃の私に知ってもらいたかったから。
いつも通り街を歩く誰かがふと見知った場所で足を止めて、この〝窓〟を読み、隣人たちの魔法をといて、自分のアイデンティティへの違和感を少しでも軽くできたのならばあの日の泣いていた私を少しは救えるような気持ちになれるのかもしれない。